静岡県御殿場市にある蕎麦処遊季庭かわ嶋。四季折々の日本庭園を眺めながら、厳選された素材と霊峰富士の湧水を使用した本格手打そばをご賞味下さい。
庭園内には約50基以上の石灯籠が佇んでおります。 その中でも上野寛永寺より最後に放出された寛永寺灯籠が2基ございます。
寛永寺は寛永2年3代将軍徳川家光により建立された寺院であり、貫主には天海があたり天台宗関東総本山の寺院として、また増上寺とともに徳川家の菩提寺として、徳川歴代将軍15人のうち6人(家綱、綱吉、吉宗、家治、家斉、家定)が眠っています。 天璋院篤姫も家定とともにこの地に眠っています。
庭園内の2基の灯籠ですがこれは第10代将軍徳川家治に由来するものです。
徳川家治は幼児期竹千代と名乗り、第8代将軍であった祖父吉宗の期待を一心に受け寵愛されて育ちました。
宝暦10年(1760年)5月3日、徳川宗家の家督を相続し9月2日に正式に将軍宣下を受け第10代将軍職を継承し、父家重の遺言に従い、田沼意次を側用人に重用し、老中・松平武元と共に政治に励んだといわれます。天明6年(1786年)8月25日に死没、戒名は浚明院。
さて、当園の2基の灯籠にはこの戒名である浚明院と記されています。 日付も天明6年とあり、家治が没した後、縁のある播州播磨国(現兵庫県南西部)と武州武蔵国(現埼玉県・東京都墨田区より東・神奈川県北東部)から寄贈されたものと考えられます。 徳川家の三つ葉葵の紋所も刻まれています。
寛永寺の山号である“東叡山”と“
浚明院” の文字が刻まれています。
灯籠に描かれた三つ葉葵の紋
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